世界よ、どうか終わらせて2 - 5/7

 今回のやり直しループがこれまでとはどこか違うことに気づいたのは、割と早い段階でのことだった。目覚めてすぐ、視界のどこにもシステム画面が見えず、十年以上経った今もなお、警鐘一つ聞こえてこないのだから当然でもある。  だから蘭世は、かつて夢想したように、この世界は蘭世と冴にとってのボーナスステージなのではないかと、内心そう思っているのだけれど。楽観視してはいけない気もするし、何より冴自身がこれまで通りを崩すことを恐れているので、蘭世からは何も言えなかった。  冴のそれが死への恐怖ならば、蘭世は自分のことなど気にせず冴の自由にすればいいと言っただろう。実際言葉にしたことはある。けれども、冴の恐れはそういったものではなかった。勿論、前述の通りの気持ちもないとは言えないが、それ以上に死した後に蘭世と冴の繋がりが途絶えることを怖がっているようだった。  ひとりはもう嫌だ。  柄にもなくそんな弱音を吐いてしまうほどには、冴の人生は狂っていたから。蘭世は冴の思うままにさせてやるくらいしかできることがなかった。  もはや証明を果たした先で、繋がりを断たれるかもしれないという恐怖が杞憂だと、そう証明するのは難しい。蘭世は確信を持って「そんなことはありえない」と断言できるけれど。冴はどうにも信じ切れないようだったので、仕方がないと蘭世の方が折れることにしたのだ。  感覚的にはもう何度目の繰り返しなのかわからなくなってしまっているけれども、蘭世にとってはまだ四度目なのだ。それだけは確かで、そして蘭世はまだまだ未熟である。冴の気持ちのすべてを、『黒名蘭世』としてだけで理解し得るとは言い切れない。でも、『糸師冴』としての感情や経験も込みでの蘭世としてならば、何度も同じことを繰り返すことに苦はない。それはもはや、手慣れた日常の延長線でしかなかったのだ。  冴がそう望むのならば、蘭世はただの『黒名蘭世』で居続けよう。まるで一度目の蘭世であるのだというように振る舞い、周囲を騙し切って見せよう。二度目も三度目もできていたのだから、もう一度くらい簡単だ。冴が何度も繰り返してきたうちの一度くらい、蘭世も同じ重みで繰り返すことなど造作もないことなのだ。  だからどうか、とそう願う。蘭世の『いつも通り』の果てに、冴の自由があればいいと。冴が自由に、羽を広げるように楽しくサッカーができる日が来ればいいと、蘭世は願っている。 「……俺が?」  故にこそ、その言葉は青天の霹靂に近しい響きを以て蘭世の耳に届いた。 「そうだ。糸師冴がお前を指名した」  壁一面のモニターの前。回転する椅子の上に膝を抱えて座る絵心が、くるりと回って蘭世を見遣った。帝襟アンリ経由でこの部屋に呼び出された蘭世には、絵心の言った言葉がすぐには理解できなかった。  だって、本来なら蘭世はここに来ていない。この時期、絵心に呼び出された人物はいないはずだし、士道龍聖は拘束されているはずなのだ。  けれども、今回は想定外イレギュラーが多かった。青い監獄内に逆行者が多いとはいえ、それだけでは説明がつかないほど事態は複雑化していた。  蘭世が『いつも通り』を続けるほど、周囲の監獄生たちがおかしな挙動をした。何かを言いかける者。何かを問い質そうとする者。蘭世の顔を見ては言い表せぬ感情に顔を歪め、怒りを露わにし、困惑を向け、沈黙し、時に悲しげな目を向けてくる彼ら。  どうなっているのか、蘭世にはわからなかった。知ろうともしなかった。蘭世にとって大事なのは人々の反応ではなく、いかに冴が平穏無事に生き続けられるかだったので。  けれども、あまりにも目に余る一度目との乖離に、困惑しなかったわけではない。  このままではまた、冴が世界に殺されてしまう。まだ蘭世は監獄内に一人なのに。冴をひとりで死なせてしまう。そう、蘭世は焦燥を感じていた。  そんなときに、蘭世は絵心に呼び出されたのである。  もはや物語シナリオなど有って無いような状況下で、追い打ちをかけるような呼び出しに、蘭世の心は絶望感に晒されていたのだけれど。憂鬱な気持ちを隠し切れず、おそらくは見るからに暗い顔をして入室した蘭世に、絵心は淡々と「糸師冴の手を取る気はあるか?」と訊ねてきたのだ。 「士道じゃなくて……?」  思わずそう零した蘭世に、絵心が無言で眉を顰めた。  しまった。  明確な失敗をしたと、蘭世は内心で焦ったけれども、絵心はそれ以上の追求はしないことにしたらしい。 「士道じゃないよ。糸師冴はお前をご所望だ。次の青い監獄ブルーロック対U-20日本代表戦で、黒名蘭世、お前を味方として使いたいと」  どうする? と絵心は感情の読めない声で蘭世に問うた。選ぶのは蘭世であり、自分自身はどちらを選択しても一向に構わないという態度を隠しもしない。それどころか、糸師冴が蘭世を指名したことへの疑問も、誘いを受けた蘭世の反応も、一切興味がないと言わんばかりだ。  間違いなく、絵心にとっては日本サッカーが向上するのなら他の一切合切がどうでもいいのだろう。聡い男であるはずの彼は、時折そうやって酷く鈍くなる。ある意味で彼の短所であり、長所でもあるなぁ、と蘭世は場違いにも感心してしまった。 「それでどうするの?」 「受ける受ける。冴がそれを望むなら、俺に否やはない」 「……そう。じゃあいってらっしゃい」  ひらりと絵心が手を振った。  瞬間、蘭世の背後にある部屋の出入り口が開く音がした。 「蘭世」  静かな声。聞き慣れた声だ。蘭世は勢いよく振り返って、声の主の姿を認めると弾んだ声でその名を呼んだ。 「冴。どうしてここに?」 「迎えに来たから」  冴が一歩踏み出したので、蘭世も一歩冴へと近づいた。そのまま彼の右隣に立って、緩む表情筋に抵抗せず笑みを浮かべる。 「もういいのか? まだ時間じゃないのに」 「ああ。どいつもこいつも邪魔ばかりしてきたが、終わりそうにねぇからな」 「そうかそうか。よかったなぁ」  本当によかった。と、蘭世は笑みを深めて冴を見上げた。見下ろしてくる冴の翡翠と視線が交わる。それがどうしようもなく懐かしい。  世界シナリオを無視して警鐘を投げ捨てて、ようやく冴が自由を選んだ。蘭世はそれがただただ嬉しかった。喜びのままに冴の首に腕を回して、ぎゅっと抱き締めれば、冴もまた蘭世の腰に腕を回して応えてくれた。  静かな鼓動と温かな体温が、この世界で冴がまだ生きていると証明している。蘭世の鼓動が動き続ける限り、冴が死なないことはわかりきっているけれども、それでもやはり、直接感じられるこの行動が、蘭世は安心できて好きだった。  そのままずっと話していたかったけれど。 「……あのね。イチャつくなら外でやってくれない?」  絵心の心底呆れたふうな声に止められてしまった。イチャついたつもりなど全くなかったので、蘭世は冴と揃って小首を傾げたのだが。絵心は深々とため息をつき、さっさと行けとおざなりに手を振るばかりだった。  蘭世と冴は、絵心の反応がやはりよくわからないまま、促されるままに部屋の外に出て、二人肩を並べて青い監獄の外へと向かったのである。