運命なんて、そこかしこに転がっているものじゃない。簡単に見つけられるなら、それは運命とは言えない。
そう思っていたのだが、とシリウスは賑やかなコンパートメントの中で目を瞠った。不躾に部屋に乗り込んでおきながら、自分勝手な意見を述べるばかりの少年、ジェームズ・ポッターの声も今は気にならない。ジェームズに続いて入ったコンパートメントにその少年がいたからだ。
ジェームズは室内にいたもう一人の少女に釘付けでこちらのことなど気にしていない。これ幸いと、シリウスは先客の少年をじっと見つめた。
「スリザリンに選ばれるくらいなら、退学する方がマシさ!」
そう声高に宣うジェームズと、不快そうに眉を顰めながら「どうして?」と訊ねるリリーと名乗った少女の会話の端で、シリウスはじっくりと少年を観察する。
シリウスを見上げる少年の目は見開かれ、容易に驚きをこちらに知らせていた。洗い足りないのだろう、状態の良くないベタついた髪は男にしては長く、肩口で雑に切られている。体格に合わない大きすぎる服は洗い晒して色褪せており、所々に繕った跡が見えた。
そんな一目で貧しく、袖口から覗く細い手にある暴行の痕から、まともな生活をしていないとわかる少年を前にして、シリウスは黙り込む。同じようにこちらの観察が終わった様子の少年もまた、口を開かずシリウスと視線を合わせてきた。
何も言わずとも通じ合うものがあった。出会い頭に無二の親友だと認識してきたジェームズなど比べるべくもない。お互いの言いたいことを視線だけで察し、お互い口を閉じたまま頷き合った。
「ねぇシリウス。君もそう思うだろ?」
「あ? ああ、そうかもな」
見るからに生返事のシリウスに満足げな顔をするジェームズを横目に見る。早く座りなよ、とまるで自分がこのコンパートメントの主だとばかりに振る舞う自称親友に呆れながらも、促されるまま空いている席に座った。
「あなたは、ジェームズのお友達?」
「さっき会ったばかりだけどな」
脚を組んで背もたれに上体を預ける。どうにも高揚感が抑えられず、自然と上がる口角をシリウスは微笑みに変えて誤魔化した。
「俺がグリフィンドールに入るつもりだと言ったら、ジェームズもグリフィンドールが一番好きな寮だと言ってな。それから意気投合したんだ」
「あれは運命だと思ったね。初めて会った人が僕と同じ意見だなんてさ」
「感性が似てるんだろうな。こいつと話すのは新しい発見もあって楽しいし、同じ寮に入りたい者同士、言わば未来の同寮生だろ? 親睦を深めるために、ホグワーツに着くまでこの列車を探検しようってなったわけだ」
「そうなのね。でもノックもなしにいきなり入ってくるなんて失礼だとは思わなかったの?」
「それはごめんってさっきも言ったじゃないか! リリー、僕は君に正しいことを知ってほしかったんだよ」
慌てて弁明するジェームズをシリウスは眺める。つれない態度を取るリリーとそれにめげないジェームズを交互に見遣り、小首を傾げた。
「正しいかどうかはあなたが決めることじゃないわ。それに私、あなたに名前を呼ばれるほど親しくないわよ。入ってきていきなり自分の主張ばかりしないで頂戴」
「でもリリー、僕は――」
「なあ、その……お嬢さん? ジェームズと二人で楽しそうなのはわかったが、どうにも俺には話が見えないのだが」
シリウスがジェームズの言葉を遮り問いかけた。
シリウスが少年に目を奪われていた間に、彼らは何を話していたのだろう。二人の世界でしか成り立たない話の展開に、シリウスは少し辟易していた。
「あら、ごめんなさい。私リリーよ。リリー・エバンズ。あなたのお友達が、ホグワーツの寮について嫌なことを言うものだから……」
「嘘じゃないさ! スリザリンは闇の魔法使いっていういけ好かない奴らのいる寮なんだ!」
「落ち着けよジェームズ。……すまない、エバンズ。こんな時代だから、こいつは死喰い人が許せないんだ。スリザリンは他の寮より闇側に付く奴が多いから、ついきつい言い方になるみたいだ」
興奮して立ち上がったジェームズを、シリウスは腕を引いて座らせた。正義感が強いのは良いが、それによって周りが見えなくなるところが子どもっぽくてため息が出る。
「遅くなったが、俺はシリウスだ。エバンズと君……」
「……セブルス・スネイプだ」
「教えてくれてありがとう、スネイプ。……とにかく、二人のいるコンパートメントに無遠慮に立ち入ったことは謝罪する。申し訳なかった」
不満げな顔をするジェームズを放置し、リリーとその隣の少年に自分の無作法を謝罪する。組んでいた脚を解き、姿勢を正して軽く頭を下げれば、それで気が済んだのだろう、リリーは笑みを浮かべた。そうしてようやく、シリウスは目の前に座る少年の名を知ることができた。
セブルスの名を忘れないようにと、心の中で繰り返していると、手持ち無沙汰に抱えていた本で口元を隠したセブルスが、シリウスの名前を口に出さずに言っては小さく笑っているのが見えた。
その些細な行動にすら溢れそうなほどの幸福を覚え、シリウスは堪らない気持ちになる。
「……それで、ジェームズとエバンズは寮についてどんな話をしていたんだ?」
内心慌てて視線を逸らし、誤魔化すように隣にいたジェームズとその向かいに座るリリーに質問する。
「グリフィンドールが勇猛果敢でどれほど正義に溢れた寮かって話さ!」
「それと、スリザリンを貶すお話ね」
意気揚々と語るジェームズと呆れたような顔をするリリー。いっそお似合いに見える息の合った会話に、それこそシリウスは呆れた。
「おいおい、ジェームズ。他の寮の話もしてやれよ。見たところエバンズはマグル出身だろ? 偏った知識じゃあ、これから困ることになる」
「シリウスこそ何を言ってるのさ。グリフィンドールこそホグワーツ最高の寮に決まってるのに!」
「それはお前の主観だろ。レイブンクローやハッフルパフが一番だって言う奴らもいるぞ」
「じゃあ君は、スリザリンに選ばれてもいいって言うのかい?」
「まさか。俺にはグリフィンドールが一番合ってるよ」
家系的に見ればスリザリンだろうが、気質的に自分はグリフィンドールなのだと、シリウスは冷静に判断を下す。
望み通りの返答に、ジェームズは随分と満足そうに笑みを浮かべていた。その傲慢さの滲む表情に、シリウスはますます呆れ返ってしまう。
これが魔法族としてそれなりの地位を築く、ポッター家の次期当主かと思うと先が思いやられる。自身の立ち位置や周りの環境、その場に居合わせた人物に合わせた会話、何一つできていない。それこそ何のしがらみもない無邪気な子どものような様子だ。子どもと言っても、ジェームズは由緒ある家の跡取りだというのに。十歳程度ならば仕方ないなどとは言っていられないのだ。名のある家の魔法使いとして生まれたならば、それ相応の行動ができなければならない。
そう教えられ、それに納得して成長してきたシリウスにとって、ジェームズという少年はその気質を好ましくは思えども、すべてを認めて受け入れられるかと言えばそうではない、という人間だった。
「シリウスだってスリザリンは嫌なんじゃないか! 二対一だ。リリー、君はやっぱりグリフィンドールに入るべきだよ。そこの陰気な彼とは違ってね」
これまた無作法にセブルスを指差すジェームズを見て、シリウスは誰も気づかない程度に眉を寄せる。不愉快だった。誰がスリザリンは嫌だと言ったんだと、そう言ってやろうかとも思ったが、自分の目的やこれからの学校生活を踏まえると、余計な軋轢を生むべきではないと口を噤む。
ジェームズの言葉に困ったような顔をしつつ、リリーは何も言わずにセブルスをちらりと見た。自身の感情を抑え込むように、本を抱えるセブルスの腕には力が入っている。
この不自然な空気に全く気づく様子もないジェームズが、にこやかにリリーにグリフィンドールを薦め、彼女もまたセブルスから顔を逸らしてジェームズの話に聞き入っていた。
どうにも、物珍しい魔法界の話が気になるらしい。寮やホグワーツの話、そして子ども騙しでしかない、魔法使い家系の子どもなら誰もが幼い頃に遊んだ玩具の杖で起こす魔法の話で盛り上がっている。
「……君は、スリザリンに入るつもりか?」
「ああ」
どこか悄然とした様子のセブルスに小さな声で問いかけた。返ってきた肯定の声にも元気はなく、顔は俯いている。
それがシリウスには悲しく思え、人の心一つ慮ることもできないジェームズを許せないとも思った。
「スリザリンは寮生同士の結束が固く、情が深い人間が多く集まる」
息を吐いて呟くと、勢いよく顔を上げたセブルスが大きく目を見開き、丸くなった目をシリウスに向けた。思いもしない言葉を聞いたとばかりの顔である。
シリウスは一つ笑みを浮かべてセブルスを見返した。ちらりとジェームズ達を見遣り、気づかれないようにポケットから出した個包装のクッキーをセブルスに差し出す。反射的に受け取ったセブルスが、戸惑いながらもそれをポケットにしまうのを確認すると、顔を逸らして窓の向こうに流れる景色を眺めた。
「その特色上、純血貴族が多い傾向にあるが、同寮生ならばマグル出身にも優しい奴らだ。心配しなくてもいい」
頬杖をついた手で口元を隠しながら呟く声は、ほとんどがジェームズたちの姦しい声に潰される。誰にも聞こえていなくとも不思議ではない声だったが、セブルスはしっかりと耳を傾け、欠けることなくシリウスの声を拾い上げているようだった。
ほんのりと頬を赤く染め、興奮したように楽しそうな目でシリウスを見るセブルスが、不器用な笑みを浮かべている。精一杯の感謝の意をその表情でシリウスに示していた。
「闇の魔術に関係深い人間が多いのも事実だが、それも大半は対抗手段を得るために必要だからというだけだ。死喰い人になるのはその中でも一握り。あいつの言うことは気にするなよ」
こくり、と頷くセブルスは素直で好感が持てた。自分の考えを強く持っている様子ではあったが、他者の意見を悪し様に退けることもせず、受け入れられなくとも耳を塞がない姿は、そこらの自尊心ばかり高い人間などよりよほど高潔だと感じる。
二人の間に流れる空気は穏やかで、同じ空間にいるジェームズとリリーなどまるでいないかのような静けさだった。お互いに相手のことを好ましく思い、ぽつりぽつりとシリウスが零すだけの会話とも言えぬ遣り取りを楽しんでいた。
だがシリウスは、徐にセブルスの腕の中から本を取り上げてしまう。唐突に穏やかな空気を壊されたセブルスは困惑し、取り上げられてしまった本を目で追った。
許可なく本を開き、ページを捲っては眺めるシリウスの様子を咎めることなくセブルスが見つめている。
本の内容に軽く目を通したシリウスが数分もせずに本を閉じると、視線をそのままジェームズに向けた。
「なあスネイプ。あいつみたいなのはどこにでもいるんだ。変に絡まれたくないなら、こういう微妙なラインの本は避けておけよ」
シリウスが言葉と共にセブルスに本を返す。セブルスは受け取った本をまた腕に抱えてゆっくりと頷いた。
その本はシリウスが言った通り、普通の本とも闇の魔術に関する本とも、どちらとも取れる内容の本だった。
当然の如く、セブルスが闇の魔術に関する本を読むのは、先程シリウスが言ったように闇魔術に対抗する手段を知るためである。闇魔術に傾倒しているのではなく、自分の大切なものを守るために、敵の武器を知る必要があると考えたのだ。
今この時代、平和などはまやかしのようなものだ。自分自身を守れもしない者が、他者を守るなど夢物語でしかない。だからこそセブルスは、闇の帝王が起こし得るあらゆる害悪から身を守るため、闇の魔術を知りたいと思った。
スリザリンに入りたいと言ったのもそれが理由だった。だというのに、そこにいる礼儀知らずのジェームズは、自身の行動を棚に上げてセブルスの言葉をまるで悪だというように非難したのだ。
ジェームズの自分勝手な言葉をリリーもまた簡単に信じてしまった。口では何と言っていようと、リリーがジェームズを好ましく思っていることなど一目瞭然だ。
自身の惨めさとリリーへの失望で、ある種の憤りさえ感じていたセブルスを、シリウスは全て理解して声をかけてくれた。どこかジェームズの勘違いを加速させているように感じる言葉に不満はあれど、セブルスを邪険にせず、セブルスの意見を肯定さえしてくれるシリウスに、セブルスはすっかり気を許していた。
それもこれも、セブルスが本能的にシリウスを好いてしまうからに他ならないのだが、それでも良いと思うほどには、セブルスはシリウスを気に入っていた。
「そろそろ駅に着くな……」
本を返した後も、ぽつぽつと言葉を零していたシリウスが立ち上がった。突然立ち上がったシリウスを、二人だけで話に盛り上がっていたジェームズとリリーもどうしたんだという顔で見上げる。
「ジェームズ、そろそろホグワーツが見えてくる。着替えた方がいい」
「もうそんな時間かい? 君と話していると時間が経つのが早く感じるよ、リリー」
「私はそうでもなかったわ。それと、教えてくださってありがとう、ミスター。私達も順番に着替えることにするわ」
淑女らしい振る舞いで微笑むリリーが「ね、セブ」と隣に座るセブルスを見た。先程まで気にもしていなかった相手に今更そのように振る舞っても無駄だ。セブルスは多少の失望を滲ませた目で静かに「そうだな」と返答していた。
「じゃあリリー、ホグワーツでまた会おう。ああ、そこのスリザリン野郎はもう僕達やリリーに関わらないでくれよ。死喰い人なんてごめんだからね」
「ちょっとジェームズ!」
リリーがセブルスを愛称で呼んだことから、想い人を取られたような気になったのだろう。ジェームズがむっとした顔をした。そして勢いのままセブルスに険のある言葉を投げ、それを聞いたリリーが眉を釣り上げてジェームズを睨んだ。
「僕は本当のことを言っただけさ。リリーもそいつと関わらない方がいいよ。巻き込まれて君まで死喰い人になんてなりたくないだろう?」
「セブは死喰い人になんてならないわ!」
「あー、はいはい。そこまでにしとけ。もう時間がない」
このままでは準備する時間がなくなると、シリウスは口を挟む。黙った二人を引き離し、ジェームズをコンパートメントの扉から廊下に押し出しながら振り向いた。
「じゃあホグワーツで。もし別の寮になっても仲良くしてくれ。あとスネイプ、読む本はしっかり選べよ」
本当に面倒な目に遭うぞ、という気持ちを込めてセブルスと視線を合わせておく。リリーの後ろで無言で頷くセブルスを確認してから、また何か言い出しそうなリリーに背を向け、シリウスはコンパートメントの扉を閉めた。