糸師冴は人生を繰り返している。
何がきっかけだったのかはもう覚えていない。だが、繰り返す人生の開始地点は明確だった。
物心がつくよりも前。かつて母に聞いた話では一歳の頃。サッカーボールを初めて転がし遊んだ日。ころころと転がるサッカーボールを追いかけようとしてぽてりと転けて、庭の土で顔を汚したその瞬間、冴は何周にも及ぶ途方もない人生を思い出す。
繰り返される、決して変更も更新もされない人生の始まりを、忘れることなどできるはずもなく。強烈に鮮明に、絶望の音を響かせるそれに、何度悪態を吐いたことか。
だがどれほど苛立ちを募らせても、現状を打開し得る策など何一つなく、ひたすらに繰り返される世界を、求められた役割通りに生きる以外の選択肢もない。
いつしか冴は、抗うことをやめてしまった。
それはある種の諦観に等しく、また、糸師冴を知る者から見れば、実に冴らしくない状態でもあった。
無論、冴も初めからこうだったわけではない。繰り返された糸師冴としての記憶をすべて覚えているが故に曖昧になった記憶の中で、確かに抗った記憶もあるのだ。
おそらくはまだループが始まったばかりの頃。確かに冴は、同じ容姿、同じ性別、同じ名前、同じ両親、同じ環境、同じ時代に生まれたことに混乱したが、一度目だと思われる人生を寸分違わずなぞろうなどとは思わなかった。むしろ、一度目ではできなかったことに挑戦する機会を得たのだと考えて、一度目では選ばなかったことを選んで生きようとした。なぜか浮かんでくる一度目の記憶を無視して、脳内に響く警告音を聞かず、一度目に選ばなかった選択肢を選び取り、新たな人生を歩み出そうとした。
だがその瞬間、冴は死んだ。当時、一度目の記憶にはない、トラックに轢かれるという事故によって。
そうして気づけばあの日。サッカーボールを追いかけ転んだ一歳の頃に戻っていた。
それから何度も何度も、冴は繰り返した。一度目には選ばなかった、または選べなかった選択肢に手を伸ばし、かつて以上のサッカーの頂を見据えて。しかし、終ぞ選択の先を見ることは叶わなかった。
高所からの落下。土砂崩れに巻き込まれて。崖からの転落。時に見知らぬ他人に刺され、撃たれ、殴られもしたし、いっそ感心するほど多彩な事故に遭って死に、健康そのものだったはずの身体に病が巣喰い死んだ。
死んで、死んで、死んで、死んで。この世のあらゆる死に方を経験したのではないかと思えるほど長く死に続けて。とうとう前触れもなく血を吐いて死んだ瞬間、冴は悟った。この繰り返される人生において、自分は自由意思によって行動することすら許されていないのだと。
その考えに至った時、冴は己の迂闊さに舌打ちをした。一歳児が唐突に舌打ちをしたのだから、両親はさぞ驚いたことだろう。だが、苛立ちを押し隠すことはできなかった。
随分と自分は混乱していたらしい。本当ならば初めに気づくべきことにも気づかず、意味もなく無駄な時間を過ごしてしまった。
本来ありえぬ、同じ人生を繰り返すという現象。そんなことが何の理由もなく起こるはずがないというのに。冴にそのきっかけが思いつかないのならば、それを成した存在が当然いるはずで。そのことに今の今まで思い至らなかった自分自身に苛立ちが募り、それが舌打ちとなって外に現れ出たのだ。
それからは、殊更に慎重になった。すでにこの現象の原因に目をつけられていることは確定してしまっているが、これ以上抵抗して目障りに思われ、すでにある行動制限以上の制限を受けたくはなかったからだ。それこそ、思考の自由すら奪われてしまうこともあり得るのである。そんなことになったら、もはやそれは糸師冴という名前を持つだけの中身のない人形になってしまう。そうなれば、今こうして考えることのできている自分という存在はいったいどこに行くのか。消えてしまって二度と戻れないかもしれない。
ありえないとは言い切れなかった。
また何より、死ぬということを回避したかった。幾度となく死に、その度に世界は繰り返した。それだけ聞けば、繰り返す世界からの脱出だけが問題のように思われるが、決してそうではない。当事者たる冴にしてみれば、繰り返す世界から抜け出すことこそ最優先事項とはいえ、繰り返すたびに死ぬ現象もどうにかしたいと思っている。
理由など簡単だ。死ぬ瞬間は酷く苦しいのだ。まるで冴を咎めるように、じわじわと殺そうとする意思が見え隠れする死に方は、何度味わっても一向に慣れない。慣れたくない。これがこれから先ずっと続けば、いつか冴は耐え切れなくなるだろう。
早々壊れたりしない自負はあるが、それは、日常生活で誰にでも降りかかる可能性のある、精神的負荷に対してだけである。肉体的な苦痛と、幾度も繰り返される死に対する、精神的苦痛を想定したものでは決してない。それでも、現状を自らの意思で打破できない以上、いつまで続くかわからぬ繰り返しをいつまで持つかわからぬ心で耐え続ける他なかった。
とかく何十回目かのリスタートでようやく冷静さを取り戻した冴は、慎重に世界を観察した。今まで無視してきた一度目の世界の記憶を参考にし、普段は視界の隅で沈黙しているくせに、冴の行動を制限するときばかり突如目の前に浮かぶシステム画面を受け入れ、この現象を成した未知の存在が冴に望んでいるだろうふうに話し、動いた。
そうすれば、これまでのやり直しが嘘だったかのように、世界は平穏に時を刻んだ。事毎に行動に制限がかかるのは窮屈だったが、なにも生活のすべてに自由がないわけではない。わずかにある自由時間に思う存分サッカーをして、それで満足なのだと、悲鳴を上げる心に蓋をして日々を過ごした。
このまま何事もなく人生を終えれば、自分に繰り返しを強要している存在が満足する結果になるのだろうと思った。そうすれば、この窮屈で苦痛しかない繰り返しも終わり、今度こそ完全な自由を手に入れられるなどと、そんな馬鹿な幻想を抱きもした。
だが、そんなものは所詮、幻想でしかなかったのだ。
ブツンッ、と、体の中で突如そんな音がした。えっ、と思うよりも早く、胸に走った強烈な痛み。ごぽり、と体の奥から迫り上がってきた血が、口から途切れることなく零れていく。もう何度も吐血を経験してきたが、これほど多量に血を吐いた記憶はなく、また、これほど唐突に理由もわからず死を経験したこともなかった。
勿論、この世界で自身の役割を理解してからも、失敗は何度もあった。明確な指針を示されているわけでもない人生だ。現れたシステム画面を見つめてもわからないことは多々ある。何を求められているのかわからず時間切れになって死んだときも、望まれる通りに行動したつもりだったのに失格を突きつけられて死んだときもあった。それでも、抵抗し続けていた頃よりもずっと穏やかに時間は進み続けていたから、冴は耐えることができたのだ。
それなのに、これは一体どういうことなのか。
冴はその時、自由な時間を与えられていた。その自由を目一杯謳歌していた。いつ制限がかかっても対処できるように、時折システム画面に目を向けながらだったが、確かに冴には束の間の自由が与えられていた。システム画面には何も記されていなかったし、脳裏に一度目の記憶が浮かんだわけでもない。何も求められていなかったはずの時間に、失敗などしようはずもないその瞬間に、冴は理由もわからず殺された。
目の前に転がるサッカーボールと、地面に手をつく小さな自分の手。起き上がって見下ろした体は幼く、周囲には見覚えしかない庭の景色。
紛れもなく、それは繰り返す人生の開始地点だった。
なぜ。
冴は軋む心に気づかない振りをして、原因究明に奔走した。直前の行動が悪かったのかもしれないと、これまで以上に自分の言動に気を遣った。だがそれでも、一定の期間は上手くいくのに、どうしても十八歳から先に進めない。冴が何をどうしても、システム画面は原因を教えてはくれず、沈黙を続けた。
気が狂いそうだった。すでに狂っていてもおかしくない状況を、並外れた精神力で耐え続けているというのに。すでに限界値を若干超えている気さえするというのに。これ以上の負荷をまだ求めてくるのか。
何度も何度も、不意打ちのように死の痛みが冴を襲った。何度も何度も、原因不明の失格をシステム画面が告げてくる。何度も何度も、庭に転がるサッカーボールを見て。何度も何度も、今度こそはという希望を捨て切れないでいる自分に愕然とした。
もはや自分にはどうすることもできないと悟り、冴はただサッカーに逃げた。サッカーだけが冴の安らぎで、楽しみで。ストライカーを諦め、MFへ転向しても、サッカーだけは自分を裏切らないと思った。たとえ未知の存在が冴に本気のサッカーを許さなくても、冴がサッカーを愛しているという事実さえあれば、サッカーはそれに応えてくれるのだと、そう思った。
否、本当は冴も心の底ではわかっている。そんなふうに縋ることでしか、もう自分の心を正常に保つ術がないのだということは。
限界を超えたのはいつだっただろうか。心の軋む音が聞こえ始めたのはいつだっただろうか。
途方もない時間を繰り返して。どれがどの時間軸の記憶かも思い出せなくなって。それでも冴は、異常なまでの精神力で耐え続けていたのだ。
だってまだ、自分はサッカーを愛している。
そう断言できることに安堵しながら、冴は十八歳より先に進めない世界を繰り返し続けていた。
原因不明の死に戻りの理由がわかったのは、繰り返しの回数を考えることもやめた頃のこと。
すでに夢か幻のように遠いものだと錯覚するほど長く辿り着けていなかった、U-20日本代表対青い監獄戦への参戦の誘い。冴にとってはあまりにも遠い過去となった一度目の記憶にしか存在しなかったそれは、もはや未知の存在がもたらしているだろう記憶の想起でしか思い出せないほどの出来事だった。そんな、いっそ新鮮さの感じられるものへと珍しくも至った世界。冴は停滞しつつあった繰り返しが先に進めたことに若干の喜びを感じていた。そんな折のことである。
システム画面に記された「誘いを受けろ」の指示に逆らわず、一度目の記憶が見せる言動をそっくりそのまま真似するように、U-20日本代表への一時的な参加を条件付きで受け入れると返答し、冴は士道龍聖を引き抜くために青い監獄に訪れていた。そこで、まるで冴を待っていたかのように現れた一人の監獄生が、冴に「お前も逆行しているだろ」と告げたのだ。
瞬間、冴は死んだ。
いつもならもう少し猶予と苦痛を与えるはずのそれが、一気に襲いかかった。慣れ始めていた痛みが圧縮されて押し寄せ、呻き声も上げられないまま、何なら吐血もさせてもらえず殺された。
ぱちり、と目を開くと目の前にはサッカーボール。いつになく早鐘を打つ心臓。どっと押し寄せた冷や汗と同時に、これまでの不可解な死の要因を悟り、冴は思わず「クソが」と悪態を吐いた。
もう百は優に超えているだろう繰り返し人生において、冴が知っていることは酷く少ない。
一つ、おそらくこの世界には、物語に付き物ののシナリオなるものが存在している。
一つ、シナリオは、一度目の記憶の想起という形で冴に提示される。
一つ、システム画面は、その時に必要な行動を示すが、基本的に簡潔すぎて情報が足りない。
一つ、何か一つでもシナリオから外れた行動をすれば、冴は殺される。
ここまでがこれまで冴が散々繰り返して知ったこと。そこにわかったばかりの事実を付け加えるとすればこうだ。
一つ、誰であってもシナリオから外れた行動は許されず、それが行われた時点で冴が殺される。
ふざけていると思った。
あの時の監獄生の言動から、逆行者なるものが存在することはすでにわかっている。しかも、その逆行者は一人ではないらしいことも。冴以外に冴と似た状況にある者が存在し、その存在が世界のシナリオをぶち壊したことで、これまで何十回と冴は死んだのだ。
だというのに、冴が死ぬ原因となった逆行者は、冴を殺した事実にも、世界の繰り返しにも気づいていないなどという馬鹿げた状況にある。
監獄生の目の前で殺された次の人生で、冴は怒りのままにその男を突撃したのだ。だが冴に向けられたのは、まるで覚えがないと言わんばかりに困惑した表情。
ふざけるな。と、そう思ったし、口に出しもした。瞬間、冴は死んだのだが、憤りは治まらなかった。その怒りで何回か殺されて、ようやく気持ちが落ち着いた頃、冴はこの理不尽な死に戻りに終わりが見えないことに気づいてしまった。
冴の行動だけでシナリオを進められないのなら、冴がどれほど根気強く死に耐えて先を進もうとしても無駄ではないか。あの逆行者たちが冴の事情を理解し得るとは思えないし、冴から教えることもできはしない。むしろ気づかれた時点で死んだのだから、気づかれてはいけないことなのだろう。八方塞がりである。
泣きたいような気分だったのに涙は出なくて。その時になって、自分の涙がすっかり枯れ果てていることに気づく始末だ。
やっていられるか、とも思ったし、事実、生きることを放棄した。何度も何度も何度も何度も殺されたが、冴はもう思い通りには動いてやらなかった。
だが無気力に時間を繰り返していると、次第にサッカーをしたい気持ちが抑えられなくなった。ここまできてもなお、冴はサッカーを愛していて、サッカーのない人生を生きることなど到底できない人間だったのだ。
それからはただサッカーをした。長くサッカーを続けたい一心で、一度目の記憶を寸分違わず再現した。システム画面の指示を熟した。
ただひたすらにサッカーがしたかった。たとえ不自由でもサッカーができればそれで十分だった。もうサッカー以外のものは自分にはないのだから、ずっとサッカーをしていたいと、そう思った。
いつかの日にサッカーだけは自分を裏切らないと思ったように。サッカーだけが冴の愛に応えてくれると思ったように。それだけがあればいいと本気で、心の底から願っていた。
冴がサッカーを愛する限り、サッカーは冴を裏切らない。
そんな考えさえも、冴の思い込みでしかなかったのだと気づくのは早かったのだが。
ふと気づくと、繰り返しの人生がこれまでの比ではないくらいスムーズに時間を進めていた。そう言えば、今回は一向に殺される気配がないな、と首を傾げる。
積極性を失って久しく、自由意思を行動に示さなくなって久しく、ただ淡々と求められる役割を演じ、不自由なサッカーを楽しみ、時折自由に想いを馳せる。そんな意思も決意も願望も抵抗も失って久しい冴が、「あれ?」と疑問に思うくらいには滑らかに、滞りなく時を刻んでいた。
最大の障害たる逆行者たちの無意識の妨害もなぜか見事に回避され、おそらくだが、この現象を成した存在が望んでいるように世界が進んでいる。一度目の記憶以外では見たことのない、U-20日本代表対青い監獄戦の当日があっさりやってきて。冴の苦悩を嘲笑うように、試合が始まった。
始まってしまった。
このとき、冴はトントン拍子に進む世界に対しての困惑から抜け出せていなかったのだが、そんなものは試合が開始してすぐに吹き飛んだ。
次々に脳裏に浮かんでは消えていく一度目の記憶。目の前に現れ冴に行動を促すシステム画面。そのすべてが、冴にある事実を伝えていた。
4-3で青い監獄を勝利させろ。
システム画面にはそう記されていた。試合の過程は記憶の想起が教えてくれた。自分が言うべき言葉、浮かべるべき表情、見るべき相手、為すべき行動。すべてがすでに決められていて、しかし決してその通りにはならない。軌道修正のできる人間は冴しかいないのに、冴はそんな余裕を持てないくらいの衝撃を受けていた。
サッカーが冴を裏切った。否。初めからサッカーは冴を愛してはいなかったし、冴の想いに応える気もなかったのだと、気づいてしまったのだ。
この、冴にとっては理不尽しか存在しない世界の主人公。それが今、同じフィールドにいる。フィールドでボールを追いかけ、ゴールを眈々と狙い、何よりサッカーに愛されているのは他でもない。青い監獄の申し子──潔世一、その人であった。
その事実が脳にまで到達したとき、冴は動揺を隠し切れなかった。はっと驚きに目を開いて、ボールをキープする足が鈍った。ちょうど弟の凛が冴からボールを奪ったところだったので、それに驚いたふうに誤魔化せたが、そんなものはどうだってよかった。
初めから、この繰り返している世界が、冴のために用意された世界ではないことなど知っていたけれど。冴のサッカーを肯定してくれる世界ではないことなどわかっていたけれど。それでも、少しくらいは、と思っていたのだ。少しくらいなら、冴に有利な何かを与えてくれるのではと。冴のサッカーを受け入れてくれるのではと。そんなふうに縋っていた。
だが、そのすべてが幻想だった。何もかもを奪われた先で、唯一手放さずに抱え込んでいたはずのサッカーにすら、初めから見放されていた。
その事実は冴に大きな衝撃を与えたというのに、世界は淡々と時を刻んでいく。
ボールを蹴るたびに苦しくなった。フィールドを駆けるたびに吐き気がした。誰かにパスを出すたびに、溢れるほどあったはずのサッカーへの情熱が萎んでいき、サッカーが無味乾燥なものへと変貌していった。
誰か。
もはや縋るべきものも失った先で、何も残っていない空っぽの自分で、冴は自身の救いを求めて手を伸ばそうとして。この期に及んでまだ縋る先を探すのかと、自分自身に愕然として動きを止めた。
刹那、ゴールネットに突き刺さったボール。得点を知らせる笛の音。続けて響く歓声と、試合終了を告げる声。頭上、選手たちを映し出すモニターを見上げると、そこには3-2の数字。一点差で、青い監獄の勝利を示していた。
その瞬間、冴は初めて絶望した。
ベンチからフィールドの選手たちへと駆け出してくる青い監獄勢。走りはしなくともベンチスペースから外に出て嬉しそうに笑う若い女性の姿。その隣には、青い監獄の監督を務めた絵心甚八が、存外楽しげに立っている。
対してU-20日本代表側のベンチは静かなもので。フィールド上の選手たちも呆然と立ち尽くしている者が多い。今回はチームメイトだった士道だけが、他人事のように飄々とし、なぜか嬉しそうに冴へと駆け寄ってくる。
士道の声が右から左へと耳を通り抜けていくが、音そのものの形を冴は捉えることができなかった。
脳内ではひたすらに絶望がくるくると回っていた。目の前が真っ暗になるような、しかしながら憎らしいほどに明瞭な視界でフィールドを見つめる。選手同士の終わりの挨拶も、ちゃんとできていたかわからない。ただ気づけば、冴はすでにフィールドから離れ、ロッカールームもシャワー室も通り過ぎ、荷物も持たず、青い監獄の廊下を彷徨っていた。
絶望とともにやってきた心臓が物理的に燃えているような熱さが、だんだんと無視できないほどの存在感を放ち、冴の死を告げんとしている。
冴は絶望していた。
もう何度も繰り返した『もう一度』がまた始まろうとしていることに。
小さく弱々しい最後の灯火が、ずっと縋ってきたサッカーが、他ならぬそのサッカーによって、冴の前から消え失せたというのに。無慈悲にも、理不尽にも、正しい歴史を実現できなかった冴を咎め、殺し、やり直させようとしている。
冴は、自分自身のことを正しく理解していた。この繰り返される人生で冴は孤独なのだと。サッカーに没頭することで、軋み続ける心の音に気づかない振りをしていたのだと。サッカーを失えば、自分には何も残らないことも。初めから、自分はこの繰り返しを成した存在の都合のいい駒であったことも。
ならばもうこれ以上、何をどう頑張ればいいのかわからなかった。
いつかを夢想し、自由に思いを馳せ、もはや忘れ去ってしまったかつての自由だった頃を想像して、この理不尽に耐え続けた。だが冴が絶望してもこの現象は終わらない。自暴自棄になって自死を選んだところで始まりに戻るだけ。味方など一人もいないし、逆行者たちはひたすらに自分の利益のために勝利を追い求め、冴の自由の邪魔をする。何度繰り返してもそれが変わることはなく、むしろ酷くなるばかりの世界で、冴にできることがあるというのなら教えてほしいくらいだった。
もう何もかもに絶望していた。死への恐怖などすっかり消えてしまったはずの心が、とうとう負荷に耐え切れずに砕け、その瞬間の高音が脳を揺らした。自壊していく心と同じように、今にも膝をついて動けなくなってしまいそうな足取りで、ただ俯き歩き続ける冴を、見つけてくれる人など誰もいなくて。
それでも、冴はぽつりと、消え入りそうな声で「助けてくれ」と、フィールドで伸ばせなかった手を少しだけ持ち上げた。
応えてくれる人は誰もいない、
「──こっちだ」
はずだった。
